今日、僕は脳だけになった。
日本の脳研究の最前線を走る医師・本郷を襲った突然の自動車事故。
頬に当たる雨、ガソリンの臭い。
同乗していた恋人の無事を確認しようとするが、身体は動かない。
そして途切れる意識……。
気付けば彼は、一条の光も見えない、深い闇の中に横たわっていた。
「誰かいないのか! 」その言葉は暗闇に吸い込まれるように、返事はない。
感覚のない身体、無限にも感じる時間、徐々に恐怖に浸食されていく精神――そんな中、突如、頭の中に同僚の医師の声が響いてくる。
水中を通ったようなくぐもったその声は、闇と時の恐怖から本郷を解放すると同時に、自らの置かれている「驚愕の状況」を突き付けてきたのだった。
医学は精神(こころ)より先に進んでしまったのか……舞台は突然の刑事の来訪で揺れる、K大学医学部脳神経外科研究棟三〇五号研究室。
十メートル四方の部屋の中で問われる、医学の奇跡と罪とは?

浮遊
高嶋 哲夫
河出書房新社
2016-03-11